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さちおの日々のつぶやき。ボクスターネタはほとんど出てきません。


by boxster_sachio
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3ヶ月を過ぎて約100日

ゆーじさんのブログに触発されて(笑)、ひと月半ぶりに赤子ネタを。

世間では生後1ヶ月で「初宮詣」に行くようです(いわゆる「お宮参り」ですね)。
ウチの場合そのタイミングでは「別居中」だったので、省略または延期とゆーことで見送っておりました。しかし地方や風習によっては生後100日目で行く場合もあるそうで、先日ひとまず本人&父母だけで行ってきました。


(クリックで拡大)

普段はそれなりに大人しいのですがこの日は何故かご機嫌が悪く、神殿に入るなり大泣きを始め(汗)、結局儀式の間中号泣しっぱなしだった我がヒメ(大汗)。
しかも儀式が終わると同時にケロッと泣き止む、とゆー大技も見せてくれたのでした(脱力)。

そんなヒメですが、3ヶ月を過ぎればそれなりに進化し、時折「ウキャッ♪」と声を上げて笑うようにもなりました。


(クリックで拡大)

とゆーワケで、お蔭様で順調に成長しております。


最近のベストショット(クリックで拡大)
# by boxster_sachio | 2006-12-20 21:45 | ヒメ

浦和の一番熱い日

2006年12月2日。
私は浦和の一番熱い日に出くわしていました。

その土日は埼玉県さいたま市(浦和界隈)に出張だった私(!)。
とは言え仕事で上司/同僚・取引先一同と一緒だったため、埼僕団関係のプチオフをする隙はありませんでした(笑)。
土曜の業務は15時半頃には終了、私以外のメンバーは浦和駅近くのホテルにチェックインして夜の懇親会まで自由行動。私は実家宿泊のため、空白の時間を余儀なくされたのでした(汗)。

皆様とホテルで別れてから浦和の街を歩くと、カフェの前に人だかりができています
そう、「浦和レッズ」のJリーグ初優勝が懸かった歴史的なゲームが、今まさに行われていたのです。逆転優勝の望みを残したガンバ大阪との直接対決で、浦和リードのまま試合時間は残り10分強! 常日頃から地元の熱い支持を集める浦和レッズの天下分け目の一戦、盛り上がらないはずはありません。
偶然とは言え最も熱い時間に最も熱い場所に居合わせた私・・ここは一丁乗っかるしかないでしょう(笑)。

カフェの前の人だかりをかきわけ、スクリーンおよび店内が見える位置に移動してみます。
当然店内は満席、それも赤いユニフォームや赤いマフラー・赤い旗の方々ばかりです。プレイのひとつひとつに拍手や歓声やため息、そして時には笑い声が沸きあがっています。




私が覗き始めてからすぐ、スクリーンに映った人影にひときわ大きな喝采が沸き起こりました。そう、私も知っている古参メンバー「野人」岡野が投入されたのです!(まだご健在だったのね・汗) サッカーに疎い私でも、97年W杯フランス大会出場を決めた彼の劇的なゴールは覚えています。恐らく「甲子園で勝負が決まった9回に三年生部員が代打で出る」のと同じ演出と思われますが、これには私もちょっと心を打たれました。

やがて笛が鳴り試合終了・・3-2で浦和の勝利、浦和レッズ初優勝!!
歓喜の叫びと拍手が店内を包みます・・







店内の狂騒とスクリーンの中ではしゃぐ選手たちをしばらく眺めてから、私はその場を立ちました。
浦和の駅前では号外が配られ「山」の人だかり・・伊勢丹では優勝記念セールのチラシに人が群がっているし、駅の改札口には浦和駅長名義のお祝いポスターが掲示されています。
「いや~、良かったね、みんな・・」私は同県民/同市民として暖かい気持ちになるのでした。


世界の中心の各所で時間をつぶした後、夜の懇親会の会場に向かいます。
会場はもちろん浦和、すなわち・・小料理屋の店内は赤いヒトたちで一杯です(笑)。
「負けなくて良かったねぇ~・・」店の一角を占めた場違いなスーツ&タイ姿のおやぢ約10名=我々は心から思うのでした。
当然予想される通り、店内の赤いヒトたちは同類同士その場で意気投合し、エールや乾杯を交わしています・・でもやっぱりスーツおやぢ団が気になるのか、チラッと横目で見ながらかなり遠慮がちに騒いでいらっしゃる(!)。
「いやいや、せっかくの記念すべき夜なのに我々のほうが場違いってモンです。我々に遠慮なく盛り上がっちゃってください」
言葉でそう言うのも野暮ってモノ、我々は素早く目配せし、彼らの次の乾杯の際には一緒に「カンパ~イッ♪(ぱちぱち)」と参加してあげました♪(彼らが非常に喜んでくれたのは言うまでもありません。)

一次会が終わり店を出ます。周囲の飲食店や通りには、やはり赤いヒトたちがこれでもかと溢れかえっています・・二次会の飲み屋を探して歩こうにも、そもそもヒトが多くて歩けない(汗)。浦和の街中が赤いヒトたちに乗っ取られ、街角のあちこちでハイタッチや握手/抱擁、高歌放吟や手拍子が続いています。
「こりゃどこも一杯だな・・」途方にくれながら赤いヒトたちの間をかきわけて歩くスーツおやぢ団。しかし名古屋からの客人一同は逆に楽しんでくれ、ケータイでパシャパシャこの光景を激写していました(笑)。

やがて一行は鄙びたスナック(?)に入れました。オバハンしかいないけど盛り上げ上手&明朗会計のお店で一同大満足、いい感じでできあがってホテルに戻ります。
しかしこの時間でも浦和の街は燃えていました。何度となく聴こえる緊急車両のサイレン、ボルテージもそのままに騒ぎ続ける赤いヒトたち・・しかし彼らは思ったよりずっと紳士的で、無礼講の中にも守るべき一線は越えない賢明さを感じました(実際にはごく少数の不心得者もいたようですが)。
途中でホテル宿泊組と別れて駅に向かいます。こちらもホットで、スーツにコート姿の私にもハイタッチを求める赤いヒトたちも(笑)。駅の改札からトイレ、ホームから車中まで、赤いヒトたちが溢れています。

帰路、私は一人で考えていました。
「特にウリがある地方ではなく、東京のベッドタウンとして位置付けられることの多い埼玉。その埼玉の人たちがここまで熱く騒げることって、今まであったんだろうか?」
「中でも浦和という土地は、商業の発展した賑やかな大宮に比べて、県庁や美術館・ホールなどを有する文教地区であり、古くからの住民が多いスノッブな土地柄・・言ってみれば"埼玉の世田谷"的な街だ。そんな大人しい土地の人々が無礼講で騒げるのは、こんな日だけなのではないか?」
「つまりサッカー好きにとってもそうでないヒトにとっても、今日は旧浦和市民≒埼玉県民にとって歴史的な日なのではないか?」

そう考えると、私の胸にも熱い想いがこみ上げてきたのでした・・。

おめでとう、浦和レッズ。
おめでとう、我がさいたま市民。
そしておめでとう、我らが埼玉県民。



#出典は不明なのですが、後日テレビ番組で「都道府県・地元愛ランキング」みたいなフリップを観ました。
なんと埼玉県は47都道府県中47位(!)・・ちなみに46位は千葉県でした(汗)。
で、1~5位は北海道・宮崎・静岡・群馬・神奈川の順だったと記憶しています。出典不明なのでコメントは難しいですが「なるほどな」と思う一面もあるのが事実です(笑)。
# by boxster_sachio | 2006-12-11 21:39 | その他
白ビーに乗ることが多くなり、クルマの中で音楽を聴けるようになりました(笑)。だからと言って最新チャートのCDを買うワケでもなく、昔買ったCDを聴き返しています。
久々に聴くアーティスト/アルバムに、不意をつかれてしみじみしたりして・・。

思春期だった70年代後半~80年代初頭、「ニューミュージック」と呼ばれる音楽が隆盛を極めていました。原則自作自演のアーティストによるPOPSを一括りにした言葉で、今で言うJ-POP同様、様々なテイストが含まれていました。
当時10代の私は、フォークの延長線上にある、情緒的なテイストを持つ曲をよく聴いていました。
しかし当初はしみじみ「いいなぁ~」と思っていたアーティスト/サウンドに対し、次第に違和感と言うか気持ちのズレを感じるようになったのです。

私が感じた違和感は、私自身の生活環境から来ていたのかも知れません。
ご存知の通り(?)私は埼玉で生まれ育ちました。
私の故郷はのどかな田園や手付かずの自然が広がる、埼玉の中でも田舎に当たるエリアでした。しかしその反面、東京と隣接する通勤/通学圏であるため、まるっきりの「地方」というワケでもなかったのです。
その影響か、私の中には地方人感覚と都会人感覚が混在している気がします。

当時流行していた楽曲の歌詞を思い浮かべた時、多くにおいて「地方出身者が都会の冷たさを呪う」という内容が目に付きます。10代前半の私は「地方出身者」側の視点で、この歌詞に少なからず共感していたワケです。それは言わば「地方出身者のための、地方出身者による、都会の音楽」でした。
しかし10代後半になって都会の楽しさに目覚めた頃(笑)、私の中の「都会人」側の視点が頭をもたげます・・具体的に言えばこーゆーことです。
頼んだワケぢゃないのに都会に出てきて、悪口や泣き言ばっかり歌にする地方出身者ってどーなのよ? 先住民たる都会人に失礼ぢゃない?」(笑)

そんな曲に食傷気味だった頃、突然「彼」は現れました。
乾いたハスキーボイス、英語交じりの早口を軽快なビートに乗せて、「彼」はこう歌い放ったのです。
真夜中の扉に足をかけて この街のノイズに乾杯!

私は目からウロコが落ちた気がしました。
今まで「不快な騒音」とされていた「この街のノイズ」に、あろうことか「乾杯」するとは!
それは「都会人のための、都会人による、都会の音楽」でした。そしてそれは、他のどんな曲よりも当時の私の心に深く刺さったのです。

「彼」の名は「佐野元春」。
彼が音と言葉で描いた都会の夜景は、今も私の心をわくわくさせます。
都会の夜のめくるめく楽しさ、ふとした瞬間に感じる心細さ、そしてそれでも走り出すタフなスピリット。
佐野元春の音楽は、今も私に強い影響を残しています。

#気が向いたらまた続きを(笑)。
# by boxster_sachio | 2006-11-09 22:44 | 音楽